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©nonko

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pointernonko

ポインタをのせると、デレる。

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画面と質量の乗算の末に

帰ってきました(あいさつ)

お出かけしている間に出ていて読めていなかったハイスコアガール④とげんしけん⑭とぱらいぞ②を買いました。

ハイスコアガールは良いです。今一番楽しみな漫画ですね。
巻を追うごとにかわいくなっていく日高さんと大野さんがのんこは大好きです。
一方でげんしけんですが、これは2周目に入ってからは義理というか1周目を読んでいた惰性で読み続けている程度の出来だと思っています。

ハイスコアガールとげんしけんを読んで、漫画はやっぱり絵なのだな、ということを考えました。
設定が、プロットが、キャラクターが必要なだけならばライトノベルでも書いていれば良いし、それをアニメにしてもらえば良いでしょう。
作家さんの「これを描きたい」という魂は漫画では最後には絵として、画面として現れるわけです。
その絵の、あるいは画面の質量は、魂は何で決まってくるのでしょうか?
押切さんの画力は決して高くはありませんが、ハイスコアガールの画面には魅力があります。小春さんはとってもかわいいです。そういったパワーは、技巧とかデッサンとか、そういったものとはやっぱり別のところにあると思うのです。これは技巧的な絵が名画ではないのと全く同じことです。
のんこは木尾さんの昔の絵(げんしけん4巻くらいですかねえー)がとっても大好きです。
今の絵柄の方が圧倒的にこなれていて、高いレベルで維持されたクオリティの絵で画面が埋められています。

でも、なんだかそれは"のっぺり"しているように感じられるのです。

昔のあの絵の方が、空気が、大学生の、大学のあの空気が、女の子がいようがけんかをしようがオタクをしていたあの空気が、魂が、匂いが、そこにあったと思うのです。

その違いは、線質だったり、画面の密度の緩急のつけ方だったりするのでしょう。
そのあたりの細かい分析はのんこにはまだわかりません。

ただ、思うのです。
漫画の芯には作家さんの「これを描きたい」という気持ちがあって、それは画面として、絵として読み手に迫る必要がある。その画面の質量を決めるのは、いろいろ分析したり計算したりできる類のものなのかもしれないけれど、赤ジャージの人にとっては「魂」と言い切れちゃうものなのかもしれない、って。

漫画は、画面です。絵です。そして、たぶん、逆説的ですが、絵であるがゆえに、技巧的だったり、上手だったりすることよりも、重要なものがあると思うのです。

のんこ21歳は、それでも、げんしけんが良い漫画になることを応援しています。

にゃー