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©nonko

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pointernonko

ポインタをのせると、デレる。

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ひとりがたり。

『黄色い目の魚』を読み返している。

私はある時期、「学生というのはたくさんの本を読むものである」というよくわからない決め付けを自分でして、本を意識して買って読みつづけた。まあでもせいぜい100冊くらい。「読書マラソン」とか、その手のやつ。新潮文庫なんか読んじゃって。今では断然講談社派なのだけれど。

その時期に読んだ本の内容のほとんどは覚えていない。当時まだアニメも今ほど流行していなくて、名前も世の中的には知られていなかった森見登美彦の太陽の塔なんかにハマったこともあったのだけれど、それくらいだ。金閣寺とか、ナイン・ストーリーズとか、無理して読んだりもしていたけれど、内容はあまり覚えていない。

その後、森博嗣にすっかりハマってしまい、村上春樹にハマってしまい、今に至る。だけれども、とりあえずよくわからないけれどいろいろ読んだ、という時期があったからこうやって好きな作家がいるのだな、とは思う。

さて。

黄色い目の魚。

これは佐藤多佳子さんの作品。一瞬の風になれ、の方がよく知られているだろう。私のその「よくわからないけれどいろいろ読んだ」時期で覚えている小説のひとつである。唯一今になって読み返した作品でもある。

本を読む、というのはクラシック音楽を聴く、というのと同じようなもので、みんな「それがなんとなく価値のあることだ」と無条件に認めているのだけれど、実際に、本当に、本を読んでいる人というのはとても少ないと思っている。1000人に一人くらいではないか。その1000人に一人は、「本当に」本を読んでいる人だ。好きな作家がいて、その作家がどういう人かを知っていて、売れている本よりも自分だけが好きな作家その人を追いかける、何も用事がなくても本屋に行ってぐるりと売り場を一周してしまう人のことだ。

本というのは、個人的な創作だ。漫画もそう。

だから、本読みとか、漫画読みとかいう人は、作り手の「その人」を意識する。そういう人が本読みと呼ばれる人だ。

1000人に一人の本読み。

誰かと共有したいわけじゃない。

自分以外の、意思ある、どこかの誰かが魂を込めて作ったものを読むこと。作った人がいることを知っていること。その人の中身を見ること。

だから、本を読むのは、漫画を読むのは、こんなにも楽しい。

黄色い目の魚。こんなに素直な言葉で書ける人、というのを私は知りません。だから、今でも読みます。

本を読むのが、漫画を読むのが、好きです。

だから、これからも本を読む。

それがどこかに確かに存在している(存在していた)誰かの強い、強い意思だから。

にゃー