【2016年12月の日記】
神様が笑う。
らくがく。らくがか。
喘いでいるわけではないです(あいさつ
:)
最近読んだ本。
Search Inside Yourself/チャディー・メン・タン
こうして見るといいひと。のロゴカラーは時代を先取りしすぎだったのではないでしょうか。そもそもこの時代から高橋しんさんのスタジオはMac使ってますしね。
トーマの心臓/森博嗣
ようやく、というべきか。読みました。森センセの創作の原点たる萩尾望都。その萩尾望都原作の作品。森センセの書いたものは切れ味がありすぎて、読んでてきついこともままあります。S&Mシリーズ、Vシリーズ、四季シリーズ、スカイクロラシリーズ、既刊のG、Xシリーズとおおよそ主要なところは読んだ(それも大量に)ということもあって、最近は森センセの小説から離れていたのです。久しぶりの森作品。センセの中性的な表現はこういうところからきていたのですね。
あとは百年シリーズのラスト(赤目姫)と羽海野チカさん表紙のモリログアカデミー、そして星の玉子様といったあたりが読みたいなと思いながら残っているのですが、これらもずーっと、ずーっと、時間をかけて読んでいくことになるのでしょう。おそらく、近年の作品では各シリーズ全体を包括するようなトリックをしかけてきているのだろうなと思っています。百年シリーズはそのキーだと踏んでいるのですが、もはや恐ろしくてちょっと読めない。神様には容易に触れられない、ということかもしれません。
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しいなりんご。
にゃー。
きらきらひかれ。
こんなに目がきらきらしている私は初めてだと思います(あいさつ
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萩尾望都漫画の方のトーマの心臓を読みました。
森博嗣は私にとって唯一無二の天才であって、S&Mシリーズはその天才がいきなり書いてしまった傑作だと思っていました。それはその通りなのですが、このトーマの心臓を読むと、なるほど、描かれる人の影の負いかただとか、たばこだとか、愛だとか、中性的な性格だとか、詩的な表現だとか、モロに影響を受けている部分がたくさんあって、やはり創作というものは真似るところから始まるのだな、と思ったしだい。というか、ほとんどの人にとって、創作を始める動機は、誰かの創作を真似たいというところにあるんですよね、間違いなく。
しかし昔の漫画のコマ密度と、情報密度と、にもかかわらず全体のボリュームというのはまったく凄まじいものです。
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「前にもこのタイトル使った気がする」というのは私は毎回思います笑
そもそも、年取ると同じことしか言わなくなりますからね。あ、21歳です。
にゃー。
A cold day which reminds her a man in the laboratory.
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最近読んだ漫画。
バス走る。/佐原ミズさん
ナナイロセカイ/オトナの制服が良かったです。たしかマイガールでもこの一週間構成の回はありましたね。
このお母さんの表情をしれっと描ける、というのがにくい。マスクひなたちゃんがとんでもなく不意打ちにかわいいです。黒と空間の使い方がうまい。
女の人が描いた感じ、というのが苦手なのですが(誤解のありそうな言い方)、そういうテイストなのだな、と受け入れさせるものがあります。この点に関しては男の人が描いた感じ、というのも同様にあるわけで、その違いはむしろ必然でしょう。
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ふわっと。
にゃー。
For Example;
タイトルに英数字が入っているとファイル名に反映されるけれど、入っていないときには番号が振られるという設定により前回の日記ちゃんのようなファイル名となったしだいです(あいさつ
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もっと、いろいろ描けるようになりたい。
最近になって、ようやくそう思います。
にゃー。
雪の中の。
あおいくろさんた。上野動物園で堀の中にうずくまっていたペンギンをずっと見ていたのですが、カメラを忘れるというミス(あいさつ
:)
スマホはある側面から見ると人間をものすごいスピードで均一にするデバイスであって、今では情報のジェネレーションは三年一世代くらいの感覚かなあ、と思います。
で、そのジェネレーションが違うなあ、と思うとき。
マジで、ヤバい、クッソ、リア充、ツイッター、全然普通に、という言葉を会話で聞くとき。
さらに、3世代くらい違うなあ、と思うとき。
「ほぼほぼ」を使われたとき。
しかもこの言葉はなぜか仕事だとかで分析的に言及する人が使いたがる傾向にある気がします。イントネーションが凶悪。
うるさいこと言ってるのは重々承知で、その点が一番年とったなあ(21)、と思うところ。
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年末。焼肉。仕事。別れ(ぉ。
にゃー。